
ツイートに〇〇って書かれていますが、それが危険なのを知っていますか?
なんのことですか?
(っていうか、あなた誰?)


間違った認識をすると、〇〇が△△です。
あのー、あなたがそう仰る根拠ってあるんですか?
私は〇〇という根拠に基づいていますが。


一般的には……
(一般論が続く)
じゃあ、
その一般論の出処教えてもらえませんか?


いや、普通がそうですから。
(話にならん…)
(あなたの情報求めてない…)

Twitterで上記(緑の人)のようなリプをしてくる人を見かけたことはありませんか?
いわゆる、『教えたがり』です。
Twitterには色々な方がいます。
集客目的、副業をしている人、ブロガー、何かの専門家、共感を得たい人、単純に楽しんでいる人。
Twitterは匿名性があり且つオープンな特性上、日常の些細なツイートにも思わぬ反応があったりするものです。
色々な方がいる中でも、
私が最近気になっているのは『教えたがり』。
Twitterでは有益情報を呟きなさい!
なんてノウハウが広まっているのも、『教えたがり』の人が現れる原因かもしれません。
最近Twitterで頻繁に見かけるようになり、第三者の視点から見て気になる部分があるので、「あるある」的なことを今回取り上げてみます。
客観的に見た『教えたがり』の傾向と特徴を知って、自分を振り返ってみてください。
※『教えたがり』の特徴が
全員に当てはまるとは言いません。
※何事にも例外はあります。
※以上の前提で記事をお読みいだだけますと幸いです
目次(押すとジャンプするよ)
Twitterに出現する『教えたがり』の特徴

本記事の冒頭までを読むと、私が『教えたがり』を批判したい記事なのかな?と思うかもしれません。
しかし、
私は彼らの全てを批判をしたいのではありません。
誰にでも、必ず良い面があることを知っていますから。
そんな『教えたがり』の特徴は…
『教えたがり』の特徴
- 知識がある
- 自分なりのポリシーがある
- 持論に自信がある
この通り、素晴らしいんです。
『教えたがり』の人は、
ある分野について知識を持っています。
(たまに、知識を持っている「つもり」の時も…)
真面目に勉強して知識をつける。
その知識は正しいと疑わず、自信を持つ。
そして知識を得ることで、
自分のポリシーを作り上げます。
別に、ここまでは良い。素晴らしい。だけど…
『教えたがり』は他人のポリシー違反が気になる

『教えたがり』の人は、自分のポリシーに沿っていない人を見かけると、どうしても気になります。

あー、この人。できていない。
ここは、こうだよ。
違うんだよ。
だから、思わず『リプ』して教えてあげようとします。
- ここは、こうではないですか?
- そこは、違うと思います
- あれはやっていないんですか?
- この方法をとらないんですか?
- それは危険ですよ
- それは正しい情報じゃないのを知っていますか?
そして、リプされた側は、恐らくこう返すでしょう。

どういうことですか?
これが『教えたがり』の人を気持ち良くするみたいで。
どうやら、『興味を持ってもらえた』と勘違いします。
そして同時に、こう思います。
- 自分の知識を披露できる
- 自分の考えを主張したい
- この人に勝ちたい
- 意見を変えさせるのが楽しい
- ありがたがられたい
ただ、知っておいて欲しいんです。
リプされた側からすると…
- 大きなお世話
- 時間の無駄
- 急になに?誰こいつ?
- 教えは乞うてない
- 求めてない
- 価値観を押し付けてこないで
- 怖い
…このように思う人もいます。
フォロー外からのリプなら特に。
みんな大人だから、『教えてくれてありがとうございます!助かりました!』とお返事します。
もちろん、心からそう思っている人もいるでしょう。
しかし、伝え方と教える方法に配慮しないと、『面倒な人』だと思われかねません。
教えることは悪くないのに、
悪い印象を与えてしまうと勿体ないです。
Twitterの文字制限無視して『議論したがり』

誰かと意見を言い合って、あーでもないこーでもないと議論するのは学びにつながる行為です。
頭を使って折衷点を見つけていくのは勉強になります。
しかし、ここはTwitterランド。
140文字の制限あり。
そして、『教えたがり』の方の意見は、
大体140文字じゃ理解できない。
リプ内容は、批判だったり、知識を淡々とのべたり、疑問や情報を小出しにしてきて何を伝えたいのかわからないのも多い。
そう。
根拠と結論が欠けているリプが多いのです。
彼らの意図を正確に読み取るためには、
何度も質問をしなければならなくなる。
根拠はなんですか?
結論はなんですか?
それが見えないまま140文字の応酬が繰り返され、議論は泥沼に落ちてゆきます。
彼らは明らかに筋が通ってなくても、引き下がることをしません。
だって、自分が学んできた知識は正しいから。
その知識が一般的だから。
伝えたいことがあるのであれば、根拠と結論を明確にするのが相手のためです。
納得できる内容のリプであればウェルカム。
それは学びであり、ありがたいものです。
しかし、140文字では簡単に伝わらないのであれば、リプではなくDMでメッセージを書いた方が伝わりやすいでしょう。
教えたいのであれば、伝え方の配慮が大切です。
教え方に配慮が足りないからウザい

前項の通り、Twitterは140文字制限があり、意図が伝わりにくいもの。
そのため、教えた後に質問と反論が飛び交い、リプ欄が大荒れになります。
そして、それは、誰にでも見られてしまいます。
そこに配慮の足りなさが伺えます。
自分の失敗を指摘されるのを気にする人はいます。
誰かに攻撃的なリプをされる所を、あまり見ないで欲しいと思う人だっています。
自分のブランディングが脅かされる事態です。
まさに公開処刑の様相を呈していたりするのです。
正直ウザい…

また、リプ欄大荒れの議論を見る側にも不快感を与えたりします。
だから、リプで議論を始める前に、ツイート主とそれを見ることになる第三者に不快感を与えないか配慮した方が良いでしょう。
いや、むしろ、元のツイート主が明らかに間違っているのであれば、リプで指摘しないでDMでこっそり教えてやればいいと思います。
リプやリツイートは、思わぬところへの拡散力もある。
自分の失敗が、多くの知らない人に晒される。
そして、さらにそのツイートを見た知らない人が拡散して多くの人の目に触れる。
それを喜ぶ人はいないでしょう。
特にリツイートは喜ばしい内容を拡散するために使え。
人が恥ずかしい思いをするかもしれないことを、なぜわざわざリプやリツイートでやるの?
この疑問を考えたときに、配慮のなさまで含んで考えると、「自分のことをすごい人って思わせたいのかな?」という結論に行き着きます。
そんな方からのリプがどんなに有益な情報であっても、「この人からの情報は求めていない」とさえ思ってしまう。
『教えたがり』は無能で承認欲求が強い?

「愚者は教えたがり、賢者は学びたがる」
アントン・チェーホフの名言です。
それに沿うと、
『教えたがり』は愚者・無能ということ。
『教えたがり』に自分のポリシーがあって、それからズレた人を見かけると非常に気になってしまう…というのは、まぁわかる話です。
ポリシーがあること自体が悪いのではありませんから。
でも、それを『教えて欲しい』と言われていないのに教えちゃうというのは、どうだろう。
それ、ギブ(GIVE)ですか?
「ありがたがられたい」と見返りを求めていませんか?
善意で、その人のことを助けたくて、教えていますか?
Twitter上で顔も知らない人(フォローもしていない人)のことを助けたいですか?
…神様!?
-
-
『ギブの精神』は人間関係で有効|ギクシャクしない与え方と前提条件
続きを見る
無能の『教えたがり』と有能の差
もし、ある分野の専門家で、誰が何を言おうと間違いがない知識や情報を扱っているのであれば、既に職業にしているレベルでしょう。
きっと、その道で実績がある有能な方であれば、誰かに教えるために割く時間も労力もない。
無差別的に議論をふっかける暇なんてないはずです。
なんなら教える情報は有料にし、「その情報ください」と教えを乞うてくる人に対して教えようとます。
だから、実績も評判もついて、認められ、いつも誰かの役に立っているのです。
そして自分の能力をさらに磨いて役に立とうとします。
一方、Twitter上にいるのは、無差別に無料の知識を教えたがる人。
一言で言えば「承認欲求が強い人」です。
誰かに認めてもらいたいと願っている人。
- 誰かの役に立てば認めてもらえる
- すごいところを見せれば必要とされる
そういう気持ちが強い人です。
だから、「教えてあげる」対象を見つけて、求められていないのに教えます。
だけど、残念ながら、
有能な人にはまだ追いつけていないのです。
知識も知名度も、努力も配慮も。
勘違いしないでいただきたいので再度言いますが、すべての『教えたがり』が無能だとは言っていません。
知識を無料で教える余裕のある有能もいるかもしれません。
ただ、配慮ができるかどうかについては別問題。
有能で知識があって余裕があっても、配慮がないのであれば、あまり魅力的にはうつりません。
教え方に配慮しよう

承認欲求の強い無能ほどマウントをとろうとする
『教えたがり』の人は承認欲求が強い。
だけど、有能な人たちがいるせいで、活躍の場を奪われてしまっている。
だったら、「活躍できるように自分の能力を磨けばいい」と思うのは、有能になる可能性がある卵です。
しかし残念ながら、無能の人は、自分を磨くより先に、自分が誰かより勝てる場所はどこかを探そうとします。
つまり、「自分より弱い人」を見つけてマウントを取ろうとするのです。
ここが有能な人との大きな違い。
Twitterには自分よりも知識がない人がたくさんいる。
ターゲットになりそうな人を検索する。
「この人、わかってないなぁ」「よし、教えてやろう」
気づきましたか?
前提が、「教えてあげる」なのです。
承認欲求が強い人はこう考えます。
「教える側」は教師、「教えられる側」は小学生くらいの生徒。教師は生徒から崇められる存在。
そして、間違いを指摘する行為は、「他人への施し」。
指摘することで充実感を感じるのです。
- 「助けてあげる」
- 「ギブしてあげる」
- 「いいことをしている」
このように、「教える」ことを
良き行い(徳)だと思っています。
「自己満足のため」という潜在的な欲求を隠しつつ良き行いをしているのが少し厄介。
「教えを乞うてない」と言われたとしても「良かれと思って教えたのに!」と反論できてしまうのです。
こうなってしまうと、「良いことをしているのになんで!?(うるうる)」と、『教えたがり』が勝手に議論に巻き込んだ上に被害者面してくるものだから、ツイート主はなんとも言えない気持ちになります。
「弱い人」を探してマウント取る前に、「高みを目指して自分を磨いて認められればいいのに」…と思うのは余計なお世話なのでお口チャック。
-
-
【Twitter】『教えたがり』への無難な対処法【面倒な人は基本的にスルー】
続きを見る
まとめ:Twitterに現れる『教えたがり』

私は『教えたがり』に甘噛みされたことはあります。
そのときは、私の無知さが知らない人にリツイートで拡散される形になりました。
しかし、すべての方が悪意があってやっていることだとは思いません。
受け手にも気にしていな人だっていますし、教えてもらえたことを本当に「ありがたい」と受け取る人もいる。
需要と供給のバランスが綺麗に合っているのは、それはそれで良いこと。
ただ、受け手側の気持ちを少し想像してみて欲しい。
世の中、いろんな考え方の人がいるので、プラスに受け取る人とマイナスに受け取る人は、ちょうど半分います。
それは、「教える」以外のことすべてに言えるので、心に留めておきたいものです。
今回の記事のポイント
- 『教えたがり』は自分なりのポリシーを持っている
- 教えるときは、根拠と結論を明確に
- 教えたいなら、リプではなくDMを使う配慮も必要
- 『教えたがり』は承認欲求が強い
\ ↓ポチッとクリックでmarikoを応援♪ /

にほんブログ村